サラリーマンにお勧めの図書「ネクスト・ソサエティー歴史が見たことのない未来がはじまる」

日本でも有名になったP・F・ドラッカーの著書

2000年前後に日本ではドラッカーがビジネス書の大ブームとなりましたが、この「ネクスト・ソサエティー歴史が見たことのない未来がはじまる」も、そんなドラッカーブームの中で出版された著書の一つです。

あまりにも人気が出過ぎてしまったためにちょっとミーハーな印象もついてしまったドラッカーですが、内容は間違いなく素晴らしく、ビジネスに関わる人でなくとも十分に参考にすることができます。

ドラッカーの有名な著書としては他に「仕事の哲学」や「プロフェッショナルの条件-いかに成果をあげ、成長するか」といったものがあります。

この「ネクスト・ソサエティー歴史が見たことのない未来がはじまる」では、現代人が迎えている時代の変化に着目し、今後はどういったビジネスパーソンが必要とされるか、ということを独自の視点で語っています。

この本で語られている「ネクスト・ソサエティ」とは1969年に出版された、同じくドラッカーの著書「断絶の時代」を受けたもので、少子高齢化や雇用形態の変化により今後起こるビジネスの変化を予言しているのです。

そうした時代の変動は避けることができないものである、ということまず前提に、そこで個人はどうキャリアを伸ばしていくべきかや、マネジメントはどういう方向を目指すべきかと言ったことを具体的に論じています。

ドラッカーは歴史や時代の変化を経済に結びつける独自の広い視点を持っているところが特徴ですが、その本質を見つめる冷静な分析は今を生きる私達に力強く響いてきます。

官僚主義のメリットが最終的な結論に

ざっくりと「ネクスト・ソサエティー歴史が見たことのない未来がはじまる」の内容をまとめてみます。

この本では現在の少子高齢化や急激なIT化など複数の社会的事象により、新しい経済構造が必要になるとしています。

これまでの世界経済ではアメリカの「株主主権モデル」、日本の「会社主義モデル」、ドイツの「社会市場経済モデル」の3つが主流となってきましたが、いずれもこれからの社会には対応ができないとしているのです。

これからの世界においてはこの3つはどれか一つに極端に傾くのではなく、バランス良くそれぞれのよいところを取り入れるという姿勢が大事になるといいます。

また、もう一つ特徴的なのが何かと批判の的になりやすい「官僚主義」を非常に有効なものとしていることです。
これまで同様にこれからの世界にも官僚が世界のリーダーシップをとっていくのだと、まとめています。

日本においては官僚主義は非常に難しい問題とされており、硬直的な政治運営や上層部の腐敗ということはありつつも、先送り主義や天下りといった方法は最終的に世の中のメリットになるとしているのです。

サラリーマンにお勧めの図書「私はどうして販売外交に成功したか」

大リーガーから営業マンに転身した伝説の男性

「私はどうして販売外交に成功したか」は、一度は大リーガーとして将来を有望視された男性であるフランク・ベトガーが夢破れてから営業マンに転職し、そこで新たな成功を手にするというサクセスストーリーについて書いた本です。

著書が出版されたのは1964年ですが、以後着々と発行部数を伸ばし続けているロングセラー書籍であり、現在28版を重ねるまでになっています。

フランク・ベトガーが大リーガーをやめてから付いた仕事は、保険の外交員です。
もともとプロ野球選手になるためにそれまでの人生を送ってきたということと、生来の性格から口下手で人見知りというハンディを背負ってのスタートでした。

普通ならばずっと夢を見てきた野球の世界から解雇され、まったく自分の適性にあっていない仕事をしなくてはいけなくなったということに落ち込んでも全く不思議ではないところですが、この本ではそうした卑屈な面は一切見せていません。

「私はどうして販売外交に成功したか」でテーマにしているのは一貫して「パッション」で、営業の仕事を始めてから成績が出るまで、ずっと前向きな姿勢で続けてきたということを伝えています。

語り口が非常に正直ということもあって文章に信頼感があり、読んでいて「ここまで言っていいんだろうか」と思ってしまうくらい惜しげなく自分の営業方法を披露しています。

異色の経歴を持ちながら、晩年には有名な経済学者や財界人から一目置かれる存在になっており、時代や国を問わずセールスの仕事をしている人全てに参考になる、普遍的で力強い哲学が感じられます。

お客さんの心を揺さぶる「パッション」とは

ビジネス書はあまたありますが、その多くは営業をするときのマナーやテクニックなど視野の短い方法論を扱ったものです。

しかし「私はどうして販売外交に成功したか」ではそうしたテクニカルなセールスの裏側にある心の方に重点を置いており、それが世界中でベストセラーとして愛される理由なのでしょう。

営業では「25年間に4万回人を訪問した」としており、前向きな気持ちをそのまま行動に結びつけていることがわかります。

もちろん成功した事例ばかりではなく失敗した例も赤裸々に綴っており、中には事実としてはあまりにも感動的なエピソードまでも登場しています。

ビジネス書ではありますが、特殊な環境を生き抜いた一人の男性の人生譚として読んでも十分に面白く、現在仕事に悩んでいる人にも大きなヒントになるのではないでしょうか。

営業の仕事でネックとなるのは「拒否される恐怖」です。
それをフランク・ベトガーはどのような考えでクリアしてきたかや、そこからどんな目標を持つようになったかといったことをこの本で述べています。

サラリーマンにお勧めの図書「人生と財産」

和製ウォーレン・バフェットと言われる本多静六

日本人はお金の話が苦手と言われていますが、明治時代よりもさらに以前の江戸時代に既に「お金の活かし方」を理解していた日本人が存在します。

それが本多静六で、幼少時代に貧しい生活を送ったにも関わらず85歳で亡くなるまで、造園家として巨額の富を築きました。

本多静六が生きた時代はかなり昔のことではありますが、その生き方や残した言葉は現代に十分通じるものがあり、半生を綴った書籍は今も非常に人気があります。

この「人生と財産」は本多静六が自分自身で発見した金銭と財産の哲学を一冊にまとめたもので、お金のことを学ぶ教本として名作中の名作と言ってよい本です。

出版社は日本経営合理化協会出版局で、2000年1月に出版して以来大人気で版を重ねています。
単行本ながら10,000円を超える中古品が出回っており、自分で購入をするにはちょっと苦労をしてしまうかもしれません。

「よき人生は、よき人生計画に始まる」

本多静六は非常に名言を多く残した人であり、その言葉の裏には苦労をして過ごしてきた半生がにじみ出ています。

生まれは現在の埼玉県久喜市菖蒲町にあたる旧武蔵国埼玉郡河原井村というところで、生家は村でも代々名主を務める裕福な農家でした。

清六は六男として生まれているのですが、9歳のときに父親が急死をしてしまったために一気に家に借金が発生し、それまでとは打って変わって厳しい生活を強いられることになりました。

そんな中でも必死に勉強をして14歳の時には書生として先生の家に住み込み、農家の仕事が少ない時期には上京して勉強を続けました。

明治17年には大学を主席で卒業しており、その後ドイツへ留学します。
帰国後は母校に戻って助教授に就き、教授になりました。

学者としての顔を持ちながら堅実な造園家としても知られており、日比谷公園や北海道の大沼公園、福島の鶴ヶ城公園などといった有名な公園の設計・改良を行います。
さらに関東大震災の時には内務大臣より復興計画を依頼されました。

貧しい農家から着実にステップアップをしていく様子は和製ウォーレン・バフェットを思わせますが、本人は自伝の中で、自分は凡庸な才能の持ち主であったとしています。

何度も本の中で語っているのは「計画と実践」であり、手っ取り早く成功をしようと思うものは手っ取り早く失敗もする、とたしなめています。

また批判や否定的なものの見方ばかりする人を注意しており、世の中のものの見方を変えればそれだけで成功に近づく、という哲学を唱えています。

「よき人生は、よき人生計画に始まる」というのも本多静六の残した代表的な言葉の一つで、焦ってすぐに結果を出そうとするのではなく、着実に結果を出すことができる方法を考えながら生活していくことが大切としているのです。