和製ウォーレン・バフェットと言われる本多静六
日本人はお金の話が苦手と言われていますが、明治時代よりもさらに以前の江戸時代に既に「お金の活かし方」を理解していた日本人が存在します。
それが本多静六で、幼少時代に貧しい生活を送ったにも関わらず85歳で亡くなるまで、造園家として巨額の富を築きました。
本多静六が生きた時代はかなり昔のことではありますが、その生き方や残した言葉は現代に十分通じるものがあり、半生を綴った書籍は今も非常に人気があります。
この「人生と財産」は本多静六が自分自身で発見した金銭と財産の哲学を一冊にまとめたもので、お金のことを学ぶ教本として名作中の名作と言ってよい本です。
出版社は日本経営合理化協会出版局で、2000年1月に出版して以来大人気で版を重ねています。
単行本ながら10,000円を超える中古品が出回っており、自分で購入をするにはちょっと苦労をしてしまうかもしれません。
「よき人生は、よき人生計画に始まる」
本多静六は非常に名言を多く残した人であり、その言葉の裏には苦労をして過ごしてきた半生がにじみ出ています。
生まれは現在の埼玉県久喜市菖蒲町にあたる旧武蔵国埼玉郡河原井村というところで、生家は村でも代々名主を務める裕福な農家でした。
清六は六男として生まれているのですが、9歳のときに父親が急死をしてしまったために一気に家に借金が発生し、それまでとは打って変わって厳しい生活を強いられることになりました。
そんな中でも必死に勉強をして14歳の時には書生として先生の家に住み込み、農家の仕事が少ない時期には上京して勉強を続けました。
明治17年には大学を主席で卒業しており、その後ドイツへ留学します。
帰国後は母校に戻って助教授に就き、教授になりました。
学者としての顔を持ちながら堅実な造園家としても知られており、日比谷公園や北海道の大沼公園、福島の鶴ヶ城公園などといった有名な公園の設計・改良を行います。
さらに関東大震災の時には内務大臣より復興計画を依頼されました。
貧しい農家から着実にステップアップをしていく様子は和製ウォーレン・バフェットを思わせますが、本人は自伝の中で、自分は凡庸な才能の持ち主であったとしています。
何度も本の中で語っているのは「計画と実践」であり、手っ取り早く成功をしようと思うものは手っ取り早く失敗もする、とたしなめています。
また批判や否定的なものの見方ばかりする人を注意しており、世の中のものの見方を変えればそれだけで成功に近づく、という哲学を唱えています。
「よき人生は、よき人生計画に始まる」というのも本多静六の残した代表的な言葉の一つで、焦ってすぐに結果を出そうとするのではなく、着実に結果を出すことができる方法を考えながら生活していくことが大切としているのです。